SMTSの別ブランドVoiturettoの43キットで知っているのは、このP3とMini Cooperだけです。他にもあるのでしょうか。
タイヤと元は挽き物でコストダウンのためメタル化したホイールが型ズレしており、スターター社のクラッシクベントレーよりコンバートしました。使えるならキット付属のタイヤ&ホイールがベストマッチだと思います。
今回は置物風というか、宮崎アニメに出てくるリベットだらけの「メカ」のような雰囲気をめざして細かいディテールにこだわるより、とにかく戦前の機械らしさだけを目標に作成しました。
たまには戦前のマシンもいいですね。
手間を掛けて手を入れたのはフロントのリーフスプリングと全体のリベットだけです。
見せ場になっているリーフスプリングも型ズレしてなければ素組するつもりでした。
エグゾーストパイプはクロームメッキがあまりにも玩具然としていたので、2000番のペーパーでツヤを押さえた後に、エナメルの黒茶を薄めた物で煤け&焼け風にしてあります。
アルファなのになんでフェラーリのマーク?
アルファロメオに貼られたスクーデリア・フェラーリのマークは戦前のフェラーリチームの証、フェラーリ社の出生元を語ります。
その辺の顛末はフェラーリ関連の書籍を読むとわかると思いますので、ここでは詳しくは書きませんが、インストに書いて有った事で補足すると、以下
エンツォ・フェラーリはアルファロメオのレーシングドライバーを歴て、レースチームのオーナーとなりました。この当時は自社ブランドの車は製造せずアルファロメオからレース活動を委託されていました。蛇足ながら戦後に自社製のフェラーリでアルファロメオに勝利し「私は母親を殺してしまった」というセリフはつとに有名です。
このP3 は天才ビットリオ・ヤーノの設計でデビュー後からかなり良い成績を収めていましたが、アルファワークス撤退後は準ワークスのフェラーリにも貸し出されずに、倉庫にしまわれていました。
しかしフェラーリチームのMonzaが他のチームに勝てない状況を打破するためにフェラーリチームへ貸し出され、マントヴァの人ヌヴォラーリとともに破竹の快進撃を続けました。
ちなみにこのクルマはルイ・シロンのモナコGP?カーかな?よく知らないのです。
こういう物がお店じゃなくてヤフオクでしか手に入らないのが残念ですなー
おはり
ぬおっ!コンテンツ無理やり増やしてますなっ。
とかいう茶々はおいといて、これステアリングでっかいすねー。パワステなんかない時代だからとか思えばでっかいのも仕方ないとは思うけど、実際こんなにデカかったんすか?
無理矢理完成品でコンテンツ増やして、過去のお手付きは軽く無かった事になってます。
すっきりと完成品が並ぶ良サイトへ脱皮。。。出来りゃ苦労はないですよね。
ステアリングはほぼ間違えなくこのサイズです。
ステアリングはきっかけ作りでアクセルのオンオフで曲がってたらしいですけど、相当に腕力が必要だったとおもわれます。
模型は床が高いのでドライバーの膝が入らないという具合に辻褄があってないですけどね。