どうふもぅー

力の限り遊びほうけて体力の限界であります。なので43はちょっと休憩。

やっぱ43は余裕があるときにユルリと作るのが吉だと思っております。

一応XJ220の話はスターター(左)はダッシュボードがボディと一体になっております。

このまま組んで綺麗に仕上げるのが難しいなぁと、プロバンスのシャシーからぶった切っておきました。おはり

切っただけで力尽きたサイパン行前の午後。

XJR-9の表面整えとXJ220の筋堀など神経使う所が残ってますけど、ちょっと息抜き過ぎて感覚が戻らないので、

別のジャンルで息抜きなどを画策。

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あっしのSF3D体験は、ガンプラ資料用に買ったホビージャパンに載っていたのを読んでおりました。

その後、ジャスト中2でモデルグラフィックス創刊となりまして、そちら方面へ愛読書も移ったという感じです。

あまりこの系統は琴線には触れてないような気もしつつ、作者の横山氏によるプロバンスのTZ2やら、

「Ta152はかっちょいーよー」など、自分のメカを見るめはすべて横山氏から授かったと断言できるのであります。

なので、某所でも制作の始まったことですし、あっしもSAFSでもと箱を出してきました。

SAFSをサクッとパチ組するつもりが、ここんところのモロモロや義母が宿泊中のストレスに想像以上に体力を削られていたようで、整備兵のおねーさんだけなんとかパチ組。

ちょっと間延びした満里奈さん<あ、満里奈さんも大好きでした。関係ないっすね。

ここでちょっと閃いて、ショートカットへ改造。

髪を短くしただけなのに恐ろしく滝クリに似ているナーと思いました。似すぎてなんかヤダ終わり。

つーかアチー上に忙しいので、しばらくこんなグダグダかも。

1件のコメント

  1. 世代がほぼ同じなので、良く判る話ですな~。
    弟と二人で一冊のホビージャパンを買ってた時代。SF3Dファンの弟は肝心な人達がMGへ移ったこともイマイチ判らず、私は私で梅本松本コンビがMGに行っちゃって、今や弟なんて「プラモ?なにそれ、キモティーの?」って完全に脚洗ってる。当時の横山氏は、技法的なことはあまり解説してくれなかったから、松本州平氏の影響の方が私には大きかったですな。当時のSF3Dライター諸氏、殊に中心のお三方は、手慣れてない若年層モデラーを雑誌記事を通じて育てるのが上手だったですよね。失敗は、「最初からこういう予定でした」って事にして逆に活かせとか。

     滝クリ含めてハセガワのこのフィギュアセットは良く出来てますよね。他社のF1用のピットクルーフィギュアと、旧日東含めて色々なキットに付いてきてたフィギュアヘッド組み合わせたら、自作せんでも高価なレジンフィギュア買わなくても結構遊べそうです。

    @河童
  2. >@河童さん
    わたしはHJとMG紙面の州平さんと梅本さんの漫才のような掛け合いに憧れたっす。
    ガンプラはMSVシリーズに突入している時期でしたが、ドライブラシにシビレてAFV方面へ移行して行き、丁度SF3Dオリジナルがキット化されたので、ナッツロッカーとかクレーテとかAFVっぽい物は作ってましたね−。
    AFVに移行したのは田舎ゆえにダグラムもダンバインもガリオンも放映してなくて、ザブングル以降のバンダイキットのラインナップにまったくついて行けなかったというのもあるかもしれません。
    焼き針とラッカー薄塗り。。。ドライエアブラシとか私も技法は完全に州平さん由来です。

    SAFSおじさんもどきのレジンフィギュアが3000円オーバーなのは憤飯もんですけど、このフィギュアセットは磨くと光るダイヤの原石でっせ。まあロペスフィギュアは私も踊りました。ははは

    デモドリ

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